命の認識/動物遺体解剖見学会
麻見和史です。東京大学本郷キャンパス、総合研究博物館に行ってきました。
この博物館は日曜は休みだと思っていたが、現在は月曜が休みだそうである。いつ変わったのか、気がつかなかった。
『命の認識』展は3月末までやっているのだが、わざわざ今日出かけていったのにはわけがある。14時から開かれる動物遺体解剖見学会に参加したかったのだ。
当方が2006年に上梓した『ヴェサリウスの柩』は、東都大学(モデルは東京大学)の医学部解剖学教室が舞台だった。解剖実習中のご遺体から、謎の脅迫文を封入したシリコーンチューブが見つかって……というストーリーである(ミステリー小説というジャンルゆえ、刺激の強い内容になっておりますが、作者には献体制度を広く知っていただきたいという気持ちがありました)。
今回、動物の解剖を見学させていただけるようなので、後学のため、ぜひ参加したいと考えたのでした。
この件、ウェブサイトに詳細情報が載るのを前日までずっと待っていたのだが、結局何も明らかにされなかった。わかっているのは14時から、ということだけで、どこへ集合かも不明。とにかく早めに行ったほうがいいだろうと思い、13時ごろ博物館に入った。
総合研究博物館。赤門から入った場合は、本郷三丁目のほうに戻ることになる。しかも近道が工事中なので、大きく迂回することになってしまった。
◆『命の認識』編
受付で、見学会に参加したい旨話したが、受付の人も14時からやることしか知らされていないようだった。展示室にいれば案内があるとのことだったので、そちらに向かった。
博物館正面に張り出された、命の認識展のポスター。こういった雰囲気の展示です。
会場は一面骨、骨、骨である。これだけ集まると圧巻だ。展示責任者である遠藤秀紀先生の方針で、キャプションは一切付けられていない。ただし、持ち歩きのできる説明資料が用意されていて、そこには簡単な骨の紹介がある。
ミンククジラの骨格標本はさすがに大きかった。ほかに、キリンなどは特徴があるので識別しやすい。
入り口付近に、薬品で固定されたゾウの子の標本が展示されていた。
骨になってしまうとそうでもないが、肉があり、皮がある動物を見ると、なかなか平常心ではいられない。無意識のうちに、ゾウの顔から、苦しげな表情を読み取ろうとしてしまう。
展示室の入り口にこれを据えたのは、非常に効果的である。骨だけの展示だったら、観覧客は企画タイトルである「命の認識」にはたどり着けず、ざっと見て帰ってしまうだろうからだ。
◆動物遺体解剖見学会編
私が展示室に入ったときには、まだ観覧客は10人ぐらいだったのだが、時間がたつにつれ、どんどん人数が増えていった。学芸員だろうか、スタッフの女性がうろうろしているのだが、明確な案内はない。ところが、個別の質問には答えているようで、その内容が漏れ聞こえてきた。
解剖はこの展示室ともう1箇所、講義室で行われるらしい。遠藤先生は講義室のほうで解剖をするそうだ。ならば、そちらに行かねばならない。
展示室を出てびっくりした。すでに講義室の前には50人ぐらいの行列が出来ているではないか。なんてことだ。私、15時に来て、どこにいればいいですかって訊いたのに……。
仕方なく列のうしろに並んだが、釈然としないものがある。スタッフの方は、もうちょっとわかりやすい誘導をしてほしいと思いました。「こんなにお客さんが来るとは思わなかったので……」と話しておられたが、スペースに限りもあるのだし、あらかじめメールで申し込ませ、人数の把握などしておいたほうがよかったのでは。
あまりにも行列が長くなったせいだろう、予定より15分ぐらい早く見学会はスタートした。人数が多いことへの配慮として、見学会場では観覧客を入れ替え、同じ説明を何度か繰り返してくださった。結果として、満足のいく学習ができた。ありがとうございました。
私はおもに遠藤先生の話を聞いていた。滅多に動かない、顔の大きな鳥、ハシビロコウを見せていただいた。胸の部分だけを切りとったオウサマペンギンも。
遠藤先生はホルマリンやアルコールで固定したものではなく、生──というと変だが、要は固定処置をしていない遺体を解剖することが多いそうだ。組織を固定してしまうと、筋肉の動きなどが再現できなくなってしまうから、というのがその理由。
先生はこれまでにジャイアントパンダを3頭解剖しているらしく、すごい実力者のようだ。しかしまったく威張ったところはなく、気さくな感じの方でした。小学生の女の子の質問にも、親切丁寧に答えてあげていた。
印象的なお話として、こういうものがあった。現在の学術研究はコンピューターを使うと、わりと簡単に成果が出せる。しかし動物の解剖ではそうはいかず、自分の五感でさまざまな発見をしていくのが基本。そこが面白い。
たしかに、以前どなたか医学部の先生から聞いたのだが、ゲノムの研究ではシーケンサーで配列の解析を行うと、それだけで論文が一本書けてしまうという。そうした研究に比べると、解剖は現物主義というか、目の前にいる動物遺体との格闘である。汗を流して、対象動物の体の構造を理解する。これには達成感がありそうだ。
遠藤研究室の院生さんだろうか、眼鏡の男性が、別の解剖遺体について説明していた。こちらは多摩動物園から入手したコアラ。ひとつの遺体を10年以上かけて解剖していると聞いて、びっくりした。手に入りにくい動物は大事に解剖しなければならないということだろうが、しかし10年とは。
理科の先生なども見学に来ていて、活発な質疑応答が行われた。みな真剣そのもの。明確にここで終わり、という線引きはなかったが、1時間半ぐらいで、会はおおむね終了した。
今日の参加者は合計100人以上いただろうか。知的好奇心と学習意欲を持ち、積極的に足を運んだ人がこんなにいたのだ。目立った宣伝をしていないにもかかわらず、これだけの人が集まったのだから、企画は大成功だったと思います。
この会、2月にもう一度実施されるそうなので、興味・関心のある方は参加されてみては。ただ、目の前で解剖が行われることを期待すると、若干物足りない気はするかもしれない。『動物遺体解剖見学会』というより、『動物解剖遺体見学会』だと考えてお出かけになるとよいでしょう。