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2008年12月13日 (土)

情報の海~「新聞」という船

 麻見和史です。本日は東京大学大学院情報学環、読売新聞東京本社主催のシンポジウム『情報の海~「新聞」という船』を聴講してきました。

 会場となったのは東大本郷キャンパスの福武ホール。赤門から正門方向へ歩く途中の塀際にあるのだが、入るのは初めてである。安藤忠雄さんの設計だという。細長い場所に頑張って建てた感じで、設計者の苦労がしのばれる。
 会場は地下二階。中に入ってみて驚いた。多くの場合、ホールというのは縦長に作られるものだが、200人収容のこのホールは横長なのである。普段、長机の端に座るのが好きな私だが、ここでは左右の端だと講演者から遠くなる。それで、今日は真ん中に近い席に座った。
 正面壁のスクリーンは横に2枚設けられていた。パワーポイントの画面を映写すると、同じものが左右にふたつ並ぶ構造になっている。
 座って待つうち何か違和感があるなと思ったら、正面壁が斜めになっているのだった。こちらに倒れかかってくるように感じられる。壁に目が慣れてくると、今度は逆に、床が傾いているような錯覚に陥る。不思議なホールである。
 のちに講演者のひとりが語ったところによると、音響面にやや難があって、前にいると聴衆からの質問の声が聞き取りづらいとのこと。きれいだし面白いスペースなのだが、ちょっと癖があるというべきか。

 まず、基調講演が2本行なわれた。
 最初は読売新聞会長・滝鼻さんから、新聞業界の現状についてのお話。
 記者の世界はOJTが基本だが、10年で半人前、20年かかってようやく一人前になれるという。しかしその一人前になれるのは三分の一で、別の三分の一はまあまあ、残りの三分の一は「採用ミス」ではないかと思われる、とのこと。
 アメリカのトリビューン破綻の話も出た。日本では戸別配達をしているので、アメリカのようにすぐ新聞社が傾くということはないが、若者の活字離れもあり、厳しい状況にある。
 最近はネット上で報道を行なう市民ジャーナリストなどもいるが、新聞を支えるジャーナリストとは質が違う。ネット上のジャーナリズムには興味本位のものが多く、誹謗中傷も絶えない。高度に訓練された者でなければ正しい報道はできない。プロの仕事に素人が手を出すのは危険。ニュースは無料で得られるものだと思ってはいけない。対価を払ってこそ、価値あるニュースが手に入る。──といった内容のお話だった。

 二本目の講演は立花隆さんのもの。
 都内のシンポジウムに参加し続けていると、立花さんと遭遇する率が高くなる。立花さんのすごいのは、人文、社会、自然科学と、あらゆるジャンルに興味を持ち、取材を続けているところだ。当方も、なるべく偏らないよういろいろなイベントに参加しているが、理系、社会系両方でパネリストとして見かけるのは立花さんぐらいである。
 立花さんのお話は次のような内容。
 日本の新聞社がすぐに破綻することはないだろうが、新聞販売店は非常に厳しい状態である。新聞販売収入は73%ほどで、じつは販売店は折り込みチラシに頼る部分が大きい。そのチラシが今減っており、苦戦している。若者の新聞離れはゆゆしき問題。新聞記事、記者の質が下がることによる信頼性の低下も懸念される。記者クラブと当局とのなれ合いはないか? 新聞は、社会の暗部をえぐるべきである。言論機関として注意すべきなのは、言論という名の暴力にならないこと、扇動をしないこと、偏見報道をしないこと、誤謬をまき散らさないことである。

 ジャーナリストの武田徹さんは、最近、大衆の興味は専門的なものに移っており、「総合」したものが受けなくなっている、と指摘。また「一人ジャーナリスト」という言葉を提唱した。

 東大情報学環の准教授・林香里先生は、市民ジャーナリストの価値を認めるべきだと主張。新聞社などマスメディアが実践しているとする「客観報道」は本当に揺るぎないものか、じつは危ういものではないのか、と疑問を投げかけた。客観的に報道するとしながら、一方で記事の順位を決めたり「論評」を行なうことに矛盾はないのか、と述べる。

 滝鼻会長が退出したあとディスカッションとなり、ここが一番の見どころとなった。司会の吉見先生はこれを「激論」と呼んだが、いつぞやの航空機シンポジウムのような一触即発の状態に陥らなかったのは幸いだ。

 揉めたのは、武田さんや林先生が理論面からジャーナリズムを語ったのに対して、立花さんが「そういう抽象的なものには感心しない」と述べたことがきっかけ。
 武田さんは自身が記事も書くジャーナリストなので直接のダメージはなかったが、林先生はまさに理論を学生に教えているわけだから、ご自分の存在を全否定されたようにお感じになったのだろう。明らかに態度が硬化し、顔つきも険しくなった(ように感じられた)。
 その後も立花さんの話が続いたのだが、途中で林先生、事実関係の誤りを訂正するため「私、ジャーナリスト教育はやってません」と話に割り込んだ。緊張の一瞬だ。
 しかし立花さんは「ああそうですか」と軽く受け流して話の続きに戻った。結局、激烈な論戦には至らなかった。

 林先生たちの仕事は価値あるものだと思うし、だからこそ東大に迎えられたはずである。
 同じ大学の先生をやっているのだが、しかし立花さんは大学の外からものを見ている。学生のためにも新聞社のためにも、もっと大学でジャーナリスト育成をしたほうがいい、基礎理論よりも現場で役立つことを教えたほうがいいと、教育システムについての意見を述べたのだろう。ジャーナリズムを勉強しても新聞記者になれる人はほとんどいないという現状を憂えての物言いだと思う。ですので林先生、どうかそうお怒りにならないで……。

 刺激的で、とても勉強になるシンポジウムだった。しかし「新聞の衰退に、これといった打開策はない」とも受け取れる結論になってしまって、主催の読売新聞は、あれでよかったのだろうか。いや、聴講者としては3時間半、非常に楽しませていただいたんですが。

 直接の議論からは外れるが、読売新聞の藤田さんが説明してくれた新聞記事データベースはかなりの優れものであった。一式で500万円するとか。すばらしいものだと評価していた立花さんが、あれを購入したのかどうか、とても気になります。

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