麻見和史です。仕事を調整して東大のシンポジウム『非業の死の記憶 追悼儀礼のポリティクス』を聴講してきました。
13時から東京大学本郷キャンパスの法文2号館2階、1番大教室にて。法文2号館地下の食堂「銀杏・メトロ」には何度も入ったことがあるが、2階に上がるのは初めてだ。
いきなり脱線しますが、ここで私と東大の関係を少々。
当方、東京大学とは無関係の人間ですが、ここで企画してくれる講義・シンポジウムにはずいぶんお世話になってます。気分的には「第二の母校」と呼びたいぐらいである(迷惑ですか)。昔はおそれ多くて入れなかった本郷キャンパスも、今は平気で歩けるようになった。学生さんに交じって、ときどき学食でカツ丼を食べたりもしている。人間、年をとるとだんだん図々しくなります。
じつは、鮎川哲也賞をいただいた『ヴェサリウスの柩』は、東京大学をモデルとした「東都大学」を舞台としていた。鮎川賞受賞作が刊行される際には必ず「受賞の言葉」というページがつくのだが、ここに載せる写真を用意するよう編集さんに言われ、どうしようか悩んだのが2年前。「せっかく東大をモデルにしたのだし、やはり写真は本郷キャンパスで撮らねばなるまい」と考え、通行人がいなくなった隙に、医学部1号館の前で肖像写真を撮って帰ってきた。とまあ、そんなことが懐かしく思い出されます。
本題に戻りまして──。
チラシによると今日のシンポジウムは、『東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」・フランス国立極東学院・トゥルーズ大学社会人類学センター共催研究集会』というもので、フランス人の先生の講演には通訳がつく。
こういう場合の通訳には2種類あって、講演者がある分量喋ったあとまとめて訳すケース(バッチ処理)と、通訳機を貸し出してくれる同時通訳(リアル処理)に分かれるが、今日は後者のほうだった。チャンネル1が日本語、チャンネル2がフランス語である。通訳者は教室後方のガラスで仕切られたブースに入って、同時通訳をする。大変な技術だといつもながら感心させられる。今日の講演は6本で、日仏日仏仏日の順だった。
「死生学」というものには馴染みがないが、文学部内にそういう講座があり、そこが中心となって2002年からシンポジウムやワークショップを始め、今は第2期目だそうである。死と生を考える哲学メインのものかと思ったが、医学部の協力を得てターミナルケアなどのテーマも扱っているらしい。
今日のシンポジウムは史学を取り込んで「大量死」を考えるもので、それを「非業の死」と称していた。現在大量死の原因となり得るのは戦争、虐殺(ジェノサイド)、災害の3つである。講演内容としては具体的にスペイン内乱、ベトナム戦争、カンボジアの問題、そして阪神・淡路大震災などが取りあげられた。
こうしたシンポジウムではタイムテーブルどおりにいかないのが常だが、最後の討論の際、通訳機のトラブルがあってさらに予定時間をオーバーした。このあと懇親会があるため、司会の先生が「時間がありませんので」を連発して、慌ただしい終わり方になってしまった。
以下、ごく個人的な感想を述べると、自然科学系と違って「これが新発見」「ここが新技術」というアピールがしにくいため、どうしても人文系のシンポジウムは終了後にもやもや感が残る。たとえば講演台本を工夫して起承転結をはっきりさせれば、聴衆の反応もだいぶ変わると思うのですがいかがでしょうか。
まあしかし、これは研究発表であって演劇やショーなどではないのだから別に面白くする必要はない、と言われればまったくそのとおりである。
今日は時間がなくて総合研究博物館の展示『UMUTオープンラボ―建築模型の博物都市』を見ることはできなかった。12月19日までやっているので、別途また見に行くことにする。
そういえばこの本郷の博物館、9月末までは月曜休館だが10月以降は土日祝が休館になるそうである。ちょっと不便になります。
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